安楽日記

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【MURVSAKI】犯罪を犯したアーティストの作品とどう向かい合うべきか

こんにちは。アイオー・安楽です。

 

本日、文春オンラインに、MURVSAKIこと、村上恭平氏についての記事が掲載されていました。

 

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MURVSAKI

罪状は、「監護者わいせつ罪」で、その後、児童売春・児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律違反・青少年の健全な育成に関わる条例違反でも追訴されています。

 

児童売春や、児童ポルノでも訴訟されているということは、未成年に対して売春行為を持ちかけていたり、児童ポルノを所持(又は作成)していた事になります。

追訴された内容については、判決が出ているのかは分かりませんが、状況から推測すると、日常的に未成年の子供を性的対象として、消費していたと推測されます。

 

今回は、ゴシップ的に今回の事件を消費するのではなく、犯罪を犯したアーティストの作品との向き合い方について、考えてみます。

 

というのも、音楽業界、特にHIPHOPシーンでは、犯罪行為によってアーティストが活動をできなくなることはよくある事だからです。

そして、メジャーシーンとは異なり、HIPHOPシーンでは、犯罪を犯したアーティストでも、作品の回収がされることはないですし、むしろ刑務所に行くことで箔がつくような現象もあります。

 

しかし、今回のMURVSAKIの一件については、批判意見が大半を占めます。

更に、被害者家族に対して、おざなりな対応をしたという事で、MURVSAKIの所属する事務所MallBoyzにも批判の矢が向いています。

 

今回の事件は、HIPHOPシーンにおいてよくある薬物がらみの事件とは異なり、明確に被害者が存在する犯罪です。

 

自身の薬物の使用など、明確な被害者が存在しない犯罪に対しては、1965年にアメリカのエドウィンさんとヒューゴさんという人によって提唱された、「被害者なき犯罪」という概念があります。

この「被害者なき犯罪」に関しては、犯罪化するべきか否か、という議論がよくされており、HIPHOPシーンにおいても、薬物は「被害者なき犯罪」だという見方がされる事が多いように思われます。

 

少し、話が脱線しましたが、今回のMURVSAKIの一件は、被害者が明確におり、更にそれが自身の義理の娘です。

身内の事件は警察に届けても有耶無耶にされてしまう事が多いです。

警察は、被害届を受理するときちんと捜査をしないといけなくなるため、被害届を受理する事を非常に嫌います。

これには、警察の従来の仕事量が多いなど、色々な理由があるのですが、これはまたの機会にお話します。

 

そんなことで、被害届を受理してもらうためには、何度も警察に通って、被害者は自分のされたことを根掘り葉掘り聞かれ、何度も何度も説明する必要があります。

性犯罪は、時間が経ってしまうと証拠が残らないため、被害者の証言を元に捜査しなくてはいけません。

また、被害者が嘘をついている可能性もあるため、何度も何度も同じ事を話させるのです。

この時点で、被害者の女性は非常に苦痛を感じているはずです。

それを乗り越えて、裁判所でも大勢の人の前で証言をし、有罪にまで持っていった娘さんとお母さんの苦労は相当なものだったでしょう。

 

そして、文春オンラインに書かれていたように、MallBoyzのおざなりな対応によって、被害者は苦痛を感じる毎日が続いています。

本来なら、二次被害もあるので、文春の取材を受けて世間に広く認知される事は、被害者の望むことではなかったと思います。

しかし、いつまで経ってもMallBoyzの対応が改善しないため、しょうがなく文春の門を叩いた、というところが今回の文春オンラインに掲載された経緯ではないかと思います。(あくまでも私の勝手な憶測です)

 

MURVSAKIは、数々の有名ラッパーのトラックを作っており、シーンの中でプロップスも得ていました。

素晴らしい楽曲を作っていたのも事実です。

近年のHIPHOPシーンの盛り上がりに貢献していた人物の一人なのは間違いなく、正直、逮捕されてしまったからといって存在を無視できないところまできていると思います。

 

今回の事件と似たような事例として、R.ケリーの事件があります。

彼もアーティストであり、複数の性犯罪で逮捕された人物でもあります。

 

今回は、R.ケリーが逮捕された時に、アフター6ジャンクションで、宇多丸さんが語っていた事を元に、犯罪を犯したアーティストの作品との向き合い方について、考えてみようと思います。

 

下記、書き起こしサイトからの一部抜粋です。

 

宇多丸)もちろんR.ケリー自身の音楽の価値というのも、さっき言ったように歴史的価値というのは否定できないレベルなので。なんだけど、そういう特集とかをやっていた身としてはね、このお話をお伝えさせていただきました。今後、どういうことになるのかも注視していきたいなというような感じでございます。ただ、このR.ケリーの話に前に触れた時にも言いましたけども、難しいのはどんどんとさかのぼっていくと昔の映画監督だとか画家さんでも音楽家でもなんでもいいけど。まあ、いまの基準に照らしたら……いや、「いまの基準に照らす」っていうか、本当の人権意識とかで言えばもうアウトっていうことをやらかして。

しかもそれが作品のある種の質というか内容にそれなりに反映してるようなタイプの人っていうのはやっぱりいて。で、ここでアートと……アートってやっぱり、これはだから実際にそういう人の人権を蹂躙するようなことをするのはもちろん、絶対許されないし。僕もそういうのは憎みますけども。そのアートというものが「正しさ」のみを描くものではない以上、なんかそこにはすごく明確な線引きをできないし、しちゃいけない一線もあると思っていて。人間の脳内っていうか、考え。人間の危うさとか恐ろしさとかっていうことに関して、線引きをしきってはいけないものだと思っているところが僕、根治的に考えとしてはあって。

ただ、実際にそういう人権を蹂躙されたりしたような人がいる。被害者がいる問題となると……っていうこともあるから。

山本匠晃)それが作品につながっている……。

宇多丸)と、思われる人もまあ、いるはいるっていう。被害者っていうか、その人の歪んだ考えが、作品の特定の歪みが……で、その「歪み」ってアートにおいて魅力になったりするし。というか、なんなら人間のそういう醜さとかを描くことすらもアートの役割だったりするじゃないですか。だから、アーティストとしてそういうところをグイグイ、私生活でも追求しまくっちゃっているような人ってやっぱりいて。それこそ、わかりやすいところではドラッグとかね。破滅的な方向に行っていて、それが作品に現れていてっていう人はいるわけじゃないですか。

で、「人間はここまでいけちゃうんだな」っていうことを知る意味でも、アートとかの意味ってあったりするわけじゃない? いい意味でも、悪い意味でも。素晴らしい崇高なものを生み出せるけど、同時に最低の存在もなれる。その人間の可能性の両側を示すというのがさ、やっぱり人間と世界の可能性と言いましょうか。それがアートの役割であって。だから、やっぱりね、一定量そういう危うさは含んでいるものであって。もちろん、なんども言いますけども、現実に人権を蹂躙される現実の被害者っていうのはもう当然未然に、絶対に防がれなきゃいけないものだし。こういうことが明るみになって、本当に事実として認定されたんだったら、それは徹底的に罰されるべきもの。特にこの時代はそうであろうけども……というところで。

miyearnzzlabo.com

 

宇多丸さんが述べるように、アーティストの作品には、その人の脳内の歪んだ部分・危ない部分が良くも悪くも含まれており、それが魅力になっている事も事実です。

そして、言葉に現れない分、ビートメイカーは考えていることや、思想が分かりにくい部分があります。

 

「あ〜!めちゃくちゃロリ娘とHしてえな〜!」と思いながら、トラックを作っても、めちゃくちゃ良い曲が出来てしまったりするのです。

勿論、彼が作曲するときに何を考えていたかは分かりませんが、作品と作者のパーソナリティは、切り離す事が出来ないものがあります。

 

彼の携わった作品には、KOHHのfuck swagなど素晴らしい作品があるのは事実です。

 

私は、事件が表面化する前の作品については、割かしフラットな気持ちで聴けそうですが、微妙な時期に発表されたMallBoyzの曲や、(仮の話で)MURVSAKIの復帰後にリリースされた曲に関しては、厳しい目を向けてしまうと思います。

 

MURVSAKIの関わった曲を聴いて、心を動かされた自分の気持ちには嘘をつきたくないからです。

しかし、その気持ちもいずれ変わって、全部無理!となる時が来るかもしれません。

 

まだ明確な答えは出ていませんが、私を含め、ヘッズの皆さんはしばらくモヤモヤした気持ちを抱えながら、生活することになりそうですね。

モヤモヤしていた部分が少しだけ吐き出せたので、今日はこの辺りにします。

 

8/30追記

昨日の夜、 Ralph氏が、自身の楽曲「BLACK BANDANA」のMVの取り下げ・音源の配信停止の手続きをされた事を公表しました。

既に、「BLACK BANDANA」のMVはYoutubeで観ることができなくなっています。

 

彼が言及しているように、 権利関係でアーティストの一存で公開を取り下げる事はできない事もあると思います。

しかし、ここまで大きな話になってくると、アーティストやAbema TVのようなMURVSAKIの曲を使ったいたメディアには、何らかのアクションが求められてしまうと思います。

そして、Ralph氏が楽曲の公開停止という前例を作ってしまった以上、「なんで○○はMURVSAKIの曲を使って金を稼いでるんだ?」という目が向けられてしまうのは、避けられません。

 

こういう際、メジャーレーベルの場合は、顧問弁護士がファンの感情をなるべく荒立てないように、アドバイスをしてすぐにアクションさせます。

しかし、MallBoyzのような小さい事務所の場合は、そういった大人がバックについていないのでしょう。

また、文春に書かれていたようにMURVSAKIの弁護士もアウトな発言をしてしまっている節があります。

シーンとして、不祥事に寛容な文化があったため、今回のような誰しもがダメだと思ってしまうような、事態に対してきちんとアクションを指南できる人材がいないのではないかと、今回の事件で感じてしまいました。

 

 

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