こんにちは。
アイオー・安楽です。
突然ですが、皆さんは「資本論」を読んだ事がありますか?
「資本論」と聞くと、マルクス主義・共産主義を連想する方が多いと思います。
私もそうでした。
戦時中に、「資本論」を読んでいようものなら、特高警察に連れて行かれて、警官にボコボコにされて、「資本主義に転向します!」と宣言するまで、家に帰して守らないような、そんなイメージです。
今日は、そんなマルクスの「資本論」にも関係する、斎藤幸平氏の「人新世の資本論」という本を読んでみたので、つらつらと感想を書いていこうと思います。
そして、マルクス主義の研究者の一人でもあります。
この「人新世の資本論」でも、マルクスの思想について、多分に触れられています。
先程も述べたように、マルクス主義と言えば、共産主義とほぼ同義であり、そして、ソ連の崩壊や中国の部分的な資本主義への転向もあり、「マルクス(共産)主義は終わった」というのが、近年の一般的な考えだと思われます。
しかし、この「人新世の資本論」は、2020年の9月に刊行された後、新書としては異例の30万部という売上を記録しています。
「どうして資本論について、書かれた本が今の時代にここまで売れているのだろう?」「そもそも人新世ってなんだろう?」そんな気持ちから、私も手にとって読んでみたのでした。
人新世とは何か?
「人新世」という言葉に耳馴染みがない方も多いと思います。
「人新世」とは、人類が地球の地質や生態系に影響を与えた年代という意味で、使われている用語です。
この言葉に関しては、まだ定義がしっかりと定まっていないようですが、ざっくり「人類の活動によって、環境破壊が進んでしまった年代」と考えて貰えればいいと思います。
近年、国連によって定められたSDGsの推進など、環境破壊や格差問題をなくしていこうという流れが、世界的に広がっています。
そんな、現代の問題を考えるにあたり、本書は一つの解を提示しています。
EVの推進は地球温暖化を止められない
近年、テスラを始めとして、各国で電気自動車の開発と普及が進んでいます。
EVはそれまでのガソリン車に比べ、二酸化炭素の排出が抑えられるため、環境への負荷が小さくなると言われています。
しかし、斎藤氏はEV車では、環境問題は解決しないと述べます。
確かに、EV車はガソリン車に比べて、運転時の二酸化炭素の排出は少ないです。
ただ、それはあくまでも運転時の話であって、本来はEV自動車の製造時への環境負荷や、動力となる電気を生み出す際の発電方法にも目を向けなければいけません。
EV自動車の製造には、動力である電力を蓄えるための、リチウムイオン電池が不可欠です。
そして、リチウムイオン電池の製造には、コバルトという金属が必要です。
世界のコバルトの70% は、コンゴ共和国で採掘されています。
コンゴ共和国は、世界でTOPレベルで貧しい国の一つです。
コンゴ共和国では、ほぼ手作業でコバルトが採掘されています。
労働者には、子供が多く含まれ、日給1ドル前後で働いています。
そして、いくつかの研究や、これまでの歴史がそうであったように、鉱山から流れ出た汚染された水や土壌は、周囲の土地に被害を与えます。
また、EV自動車の動力となる、電気を生み出す工程についても目を向けなければいけません。
石油や原子力で発電した電気を使用する場合は、ガソリン車よりEV自動車のほうが二酸化炭素の排出量は少ないですが、石炭で発電した電気を使用した場合は、むしろEV自動車のほうが、二酸化炭素排出量が多くなってしまうのです。
石油や、原子力で発電した場合に比べて、石炭で発電する際には、石炭を燃やす際に排出される二酸化炭素が多くなってしまうからです。
このように、一見エコに見える手段であっても、実は社会や環境に与える負荷の先が変わっているだけで、地球全体としてみると、あまり変わっていなかったりします。
我々はどう生きるべきか?
では、SDGs的な活動をしても環境破壊や、格差問題が解決しないのであれば、我々はこの先どうすればいいのでしょうか?
このまま、地球の環境破壊と共に滅亡してしまうのでしょうか?
本書では、この問いの答えとして、「脱成長」を掲げています。
「脱成長」とは、ものすごくざっくり言うと、「ほどほどの生産とほどほどの消費で、楽しくくらそう」という主張です。
我々の暮らしには、既にモノが溢れており、物質的にはそれなりに恵まれた暮らしをすることができます。
しかし、資本主義は大量生産と大量消費を前提とした、社会構造です。
モノが少なく、食べ物や生活必需品を手に入れることすら、困っていた時代はこの構造は様々な面でうまく機能していました。
しかし、現在の日本を見るとわかるように、ある一定のレベルまで国家の水準が上がると、その先は停滞が待っています。
アメリカなんかは、国単位でみると経済的には成長してうまくいっていますが、様々な面で歪が生まれてきています。
環境破壊や、格差問題もその1つです。
そこで、一歩立ち止まって「もうこんなに頑張って生産・消費をしなくても楽しくいきていけるんじゃないか?」という主張が、本書にかかれている「脱成長」です。
共同体を大事にする
貨幣だけで繋がった関係性では、やはり資本主義的な「お金をもらうために仕事をする」といった世界になってしまいます。
それでは、どうしたらいいのか?
本書には、古くからある共同体を大事にするべきだと書かれています。
共同体とは、最小単位でいうと「家族」がそれに当たります。
その他にも、地域の共同体や趣味の共同体、一昔前の会社も共同体に当たるでしょう。
共同体に帰属する事の重要性は、社会学者の宮台真司氏も述べています。
共同体は、損得を超えた繋がりを持てるコミュニティです。
例えば、都心で働く地方出身者が子供を産んで育児をすると、保育園やベビーシッター代がそれなりにかかります。
20代や30代だと、生活はかなりきついです。
そのためには、一生懸命働かなくてはいけません。
しかし、地方の実家で子育てをすると、実家にいる自分の両親や祖父母に子供の面倒を見てもらうことができます。
そして、実家であれば家賃もかかりません。
一見、東京のほうが給料が良くて楽しい生活を送れそうなイメージがあります。
しかし、実際は最低でも年収500万円くらいはないと、都内の一人暮らしでそれなりの生活はできないでしょう。
そこからさらに、高級車を乗ったり、タワマンに住もうと考え始めると、いくらお金があっても足りません。
それを考えると、地方で家族や友人に囲まれながら、共同体の中で暮らす方が幸せだったりします。
このように、共同体で暮らすことで、損得関係を超えた関係を構築し、「お金のための労働」を減らすことが重要となってきます。
しかし、共同体の中で生活をしても、大量生産・大量消費を続けていれば、環境破壊や格差の問題は無くなりません。
足るを知るという生き方
まずは、大量消費の生活スタイルから考えていきましょう。
先ほども述べたように、地球規模で考えると、既に世の中には食べ物や生活に必要なモノは十分にあります。
特に、日本を含めた先進国には、非常に沢山のモノが溢れています。
日本は物価が安いこともあり、月10万円もあれば、最低限の衣食住は賄う事ができます。
贅沢をしようと思えば、いくらお金があっても足りないですが、お金をそこまで使わなくても、それなりに楽しい暮らしを実現する事は可能です。
勿論、贅沢をしようと思えば、いくらお金があっても足りません。
しかし、お金を使うには、お金を稼がなければいけません。
お金をそれなりに稼ごうとすると、それなりの責任のある仕事をしなくてはいけないので、ストレスもかかります。
ストレスを感じると、ストレスを解消するために、お金を使った消費活動をしていまします。
しかし、ストレスを感じたマイナス分を埋め合わせているだけで、マクロな視点で見ると、生活・人生に対する幸福度は上がっていない可能性があります。
消費が減れば、需要に合わせて生産も減らさなければいけません。
生産が減ると、様々な環境に与える負荷は小さくなるでしょう。
地球規模の問題なので、個人レベルで生き方を変えたところで、全体に与えるインパクトはとても小さなものです。
しかし、私は「足るを知る」という考え方が好きですし、今もモノをそこまで消費しない生活を送っていますが、無理をしているというよりは、これが心地良いです。
話が少し脱線してしまいましたが、「ミニマリストは、環境にも優しい」という結論で、今回は締めくくろうと思います。
まとめ
斎藤幸平氏の「人新世の資本論」は、非常にボリューミーな著作です。
本書のメインテーマである「資本論」については、本ブログではほとんど触れていませんが、かなり複雑な内容のため、本書を読んでもらった方が、誤解がなく理解する事ができると思います。
ご興味がある方は、一読してみて下さい。
本書の内容を全て鵜呑みにする前にしっかりとした検証が必要だとは思います。
しかし、「SGDsでは、環境問題・格差問題は解決しない」という前提に立った時、自分たちがどういった生き方を選択していくか、といった内容を考えるのは、頭の体操としても面白いと思います。
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