こんにちは。
アイオー・安楽です。
先日、櫻井翔さんの炎上についての記事を、かなりの方に読んでいただき、はてなブログの週間ランキングに取り上げていただきました。
先週で5番目に読まれた記事のようです...。
取り上げていただいた記事はこちら
この記事については、沢山の方から賛否両論の様々な意見を頂きました。
中には、吉岡さんのインタビューを見ておらず、上記の記事ですら全て読んでいないようなコメントもありました。
そのようなコメントは、吉岡さんの伝えたいことや、私の本旨を誤解させてしまう可能性があったので、一部削除しております。
そして、様々な反応を頂く中で、私もまだ掘り下げて考えられていない事が多々あると感じたので、この記事では頂いた反応を元に、櫻井翔さんへの炎上がなぜ起ってしまったかを考えていこうと思います。
櫻井さんを擁護する視点に関しては、上記の記事に記載したため、
ここでは、櫻井さん擁護派ではなく、反対派の意見を主に取り上げて考えてみようと思います。
最初に寄せられた意見を取り上げ、その後に私の考えたことという形式で記していきます。
テレビ局側の報道姿勢に問題があるのではないか
意見
私はまあ、聞くべきことであったとは思うし、桜井氏のインタビュー単体で切り抜けば今の炎上になるのは正しくはない(場合によっては的外れな批判)、と考えるでしょう。 ただ、今回に関しては受け手を怒らせるだけの見逃せない要素が記事から抜け落ちています。 それは今まで『テレビ』がやってきたことです。中国や韓国が行った軍拡や戦争になりかねない行いを放映せずに隠しているにも関わらず日本のそういう動きには過剰なほどに報道する。今回の質問も必要以上に日本軍を貶めるインタビューである、と捉えられたのでしょう。これは上記の報道姿勢(普段の行い)から否定は難しいと思います。 報道姿勢と桜井氏のインタビュー、正しさと切り離して考えるべきだ、ってのもわかりますが第九条の改正が一部で叫ばれてる今、テレビ側に第九条改正の否定を意図する思惑がなかったと言い切れるでしょうか? 意図があるとすれば視聴者の心を誘導するためにインタビューを受けた心を自分達の思惑のために売り払ったことになります。 これに不幸に桜井氏が巻き込まれた、と考えましたがいかがでしょうか? 拙く、説明不足な部分もあると思いますがその点は申し訳ありません。 ここまで読んでいただけたのでしたら、ありがとうございました。
私の考え
私は、今回の記事を見て、日本軍が貶められているとは思いませんでした。
「人を殺す」というのは、日本軍に限らず、戦争自体の本質だからです。
そして、今回の記事を見て、憲法改正が脳裏によぎる人も多くはないでしょう。
日頃、保守派を気取っている方達からすれば、いかにも結びつけやすい言葉の羅列ですが、一般の方はそこまで思いがよらないはずです。
そして、今のテレビを含めたマスメディアにそこまでの思想があるとは、私は思えません。
彼らは、数字のために見た人が喜ぶものを見せるだけです。
戦時中、マスメディアはこぞって戦争を歓迎する記事を書きました。
今回は、真珠湾攻撃から80年の節目だから、このような番組が作られた。ただそれだけです。
マスメディアに期待をする事自体が間違っているのです。
軍人に聞く質問ではない
意見
【炎上】櫻井翔の元日本兵吉岡さんに対する質問は何も間違ってはいない - 安楽日記
爆弾落として殺した意識は?なんて聞くところ。米の爆撃機乗りに同じ質問をするのか?
2021/12/13 03:08
私の考え
こういった意見は非常に多かったです。
職業として「軍人」をしている方にわざわざ、「人を殺している感覚はありますか?」という野暮な質問をするのではない、というものです。
今回は、東京新聞のインタビューの動画を見ると、吉岡さん自身が何度も「戦争は人を殺すことだ」と語っています。
そして、上の方があげているように、爆撃機乗りや、無人攻撃機の操縦者ですら、任務の後に自責の念を感じて、PTSDになってしまう人がいます。
なぜか、今回の件を批判する人たちは、櫻井さんが吉岡さんに対して、責める意味合いで「アメリカ兵を殺した感覚は?」と聞いたと思い込んでいます。
しかし、戦争で人を殺したからといって「人殺し!」と責める人はいません。
戦争という他者を殺めることを強制される環境で、行われる殺人だからです。
世の中の規範では許されているはずなのに、吉岡さんや上記のアメリカ兵が、戦争で人を殺してしまった罪悪感に苛まれるのは、「人を殺してはいけない」という理性がどこかにあるからです。
それがあったからこそ、吉岡さんは東京新聞のインタビューで「人を殺した意識」について、何度も語ったです。
誰も吉岡さんを責めてはいない事は明白なのに、なぜか「吉岡さんが責められている」と考えるのは、被害妄想もいいところです。
差別主義者のブログ
意見
差別主義者のブログ。
— 橋本琴絵🎄🎁🍗 (@HashimotoKotoe) 2021年12月12日
差別主義者に共通した特徴は「歴史を知らない」こと。例えば「戦う前に餓死者が多かった」という。補給を巡る制海権の戦いにやぶれた結果餓死となったのに、まるで最初から食糧が無かったかのように嘘をつく。
こうした差別を放置してはならない。
https://t.co/Em01HgCqjA
私の考え
まず、「差別主義者」という括りに笑ってしまいました。
「人種差別主義」等ならわかるのですが、「差別主義者」という言葉には、耳馴染みがありません。
一応、調べてみると次のような意味を指す言葉みたいです。
差別主義とは、現実上あるいは架空上の差異に普遍的、決定的な価値づけをすることであり、この価値づけは、差別主義者が己れの特権や攻撃を正当化するために、被害者の犠牲をも顧みず己れの利益を目的として行うものである。かつてアルベール・メンミは『差別の構造』(1971年)で差別主義について明快な定義を述べている。
引用はこちらから↓
上記の意味を照らし合わせてもいまいちよく分からないですね。
橋本琴絵さんには、是非、どういった意味合いで「差別主義者」という言葉を投げかけられたのか教えて頂きたいものです。
そして、「まるで最初から食糧が無かったかのように嘘をつく」と、言及されていますが、私は一言も「最初から食糧は用意されていませんでした」なんて書いていません。
ミスリードもいいところです。
ミスリードを避けるために「最初は次々と敵国の領地を占領していきましたが、終戦間際は本当に酷いものです」と、敢えて記載しています。
そして、藤原氏の『飢死した英霊たち』を読んでいれば、文脈が分かるはずです。
「歴史を知らない」のは一体どちらでしょうか
ちなみに橋本琴絵さんは、2017年の衆院選に出馬されていた方みたいです。
本質を問いたかったら匿名で回答させるべき
意見
【炎上】櫻井翔の元日本兵吉岡さんに対する質問は何も間違ってはいない - 安楽日記
"吉岡さんは、この「人を殺した意識」を話すために、100歳を超えてあえてメディアで口を開いたのです。"<-これが批判されているのでは?メディアの思惑が透けて見える。"本質"を追いたかったら匿名+文字ですべきでは?
2021/12/12 12:57
私の考え
今回のインタビューは、真珠湾攻撃に参加した吉岡さんという、バックグラウンドがあったからこそ、ここまで真に迫った内容になったと思っています。
匿名+文字で記事にする方が、いくらでもメディアが好きなように内容を変えられてしまうと思いますが、いかがでしょうか?
これは意図はよく分からない質問でした。
見えない「何か」と戦っている人たち
いくつかの質問を見ていきましたが、どれも吉岡さんが責められている事を前提にした内容だということが分かります。
先日の記事でも書きましたが、櫻井さんから吉岡さんが責められているような雰囲気は感じませんし、東京新聞のインタビューでは吉岡さん自身が「人を殺した意識」について、自発的に、強く語っています。
そして、それを見聞きして「吉岡さんは人殺しだ!」という意見は、私の知る限り見たことがありません。
一体、今回のインタビューで怒っている人たちは、何に対して怒り、何に対して戦っているのでしょうか。
【炎上】櫻井翔の元日本兵吉岡さんに対する質問は何も間違ってはいない - 安楽日記
- [個人の快不快は別の話]
ブコメ見ても倫理的または政治的、道徳的に正しいかどうかでなく、ただ「自分にとって不快だったかどうか」にフォーカスしすぎている人が多い印象。自分にとって快適な情報だけ世の中に出てほしいはエゴだと思う
2021/12/13 08:35
上記の意見のように、突き詰めると「自分にとって不快だったかどうか」にフォーカスしている人が多いです。
今回のインタビューを強烈に批判している人達の中には、保守・愛国を名乗る人たちがかなりいました。
そして、その中には「太平洋戦争を大東亜戦争と表記すべきだ!」というような、無茶苦茶な指摘をしてくる人たちもいました。
彼らの中には、どのような場合であっても太平洋戦争に参加した日本兵の方に「人を殺した感覚は?」と聞くことは到底許されない、という価値観があるようです。
しかし、「アメリカ兵にも同じことを聞いてみろ」と批判する人が多いように、アメリカや他の国の軍人にそういう質問をすることは良いみたいなのです。
また、もう少し柔和な意見でも、仮に「殺した意識」を取り上げるのであれば、原爆を落としたアメリカ兵にも聞かないといけない、ようなのです。
吉岡さんのインタビューでは、一貫して、吉岡さんが個人として感じたことにフォーカスが当てられています。
勿論、元日本兵であるというバックグラウンドはありますが、主語はあくまでも「私」です。
一人の兵士が、人を殺すことを強制される環境で、行った行為に対して、吉岡さんは悔いているのです。
この感情に国は関係ありません。
アメリカであっても、韓国であっても、中国であっても同じです。
恐らく、批判派の人たちは、櫻井さんの質問を拡大解釈し、それを自らが理想とする幻想の日本兵に当てはめてしまっているのだと思います。
自分が気持ちいと感じる情報だけ吸収するのではなく、網羅的に調査し、なるべく最大公約数的な目線で考えることが重要だということを、改めて感じさせれらた一件でした。
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