こんにちは。
アイオー安楽です。
最近は、5lackに関する一連の騒動によって、5lackの曲を聴いたり、5lackについて考えることの多い日々を過ごしています。
5lackは私の大好きなラッパーの1人です。
名実ともに日本国内でも、トップレベルでスキルの高いラッパーだと思います。
私が5lackの曲を聴き始めてから、10年近くが経ちます。
久しぶりに彼の曲を聴いているうちに、過去にあった色んな出来事や、当時考えていた事を思い出しました。
様々な媒体で様々な人が5lackや、彼の音楽について語っていますが、私はFeeling29のYouTubeのこのコメントが大好きです。
私自身も、このコメントのような想いを彼の曲に対して抱いています。
10代から20代前半の多感な時期に1番聴いていた音楽は5lackの音楽だからです。
最近、昔の事を段々思い出せなくなってきています。
恐らく、10年後には今の半分も過去の事は思い出せないでしょうし、20年後には90%くらい忘れているかもしれません。
という訳で、私自身の備忘録として、5lackの曲を聴きながら、当時あったことや、考えたいたことをつらつらと書き留めておこうと思います。
(ちょっと長くなってしまったので、浪人していた頃までを書きました)
中学生
私が5lack(当時はS.L.A.C.K)の曲を聴き始めたのは、中学生の頃でした。
当時は、日本のHIPHOPを聴くことが少なく、USのR&BとウェッサイのHIPHOPばかり聴いていたので、正直あまりピンとこなかった思い出があります。
そして、当時は5lackよりも、彼の兄のPUNPEEの方が好きだった記憶があります。
(PUNPEEのキャッチーなラップの方が受け入れやすかった)
5lackの音はかなり硬派です。
中学生の時、東日本大震災が起こりました。
その2日後に、YouTubeの5lackのチャンネルに、「But This is Way」が公開されました。
当時、東京にいた私はそこまで直接的な被害を受けなかったのですが、いつもは飄々としたラップをするPUNPEEが、静かな怒りを込めたラップをしている事で、「これはマジなやつだ... 」と感じた記憶があります。
とは言え、中学生の頭では難しいことは、あまり考えられなかったので、無心で何回のリピートして聴いていたような気がします。
高校生
この頃は、PSGをよく聴いていました。
特によく聴いていたのは、"いいんじゃない"です。
この曲には、自分で考える事の重要性を教えられました。
5lack、GAPPER、PUNPEEの全員のリリックがパンチラインだらけなのですが、中でも、PUNPEEのバース最初の「自分のことなんだし、自分で決めたら?」が当時の自分には1番刺さりました。
それまで、自分も人にアドバイスを仰ぐこともありましたが、その姿勢を改めようと考えました。
というのも、人に「こうしようと思ってるんですけど、どうですかね?」という時点で、自分の頭で考える事を放棄しているからです。
さらに、自分する行動の責任を、アドバイスを仰いだ相手に一部負担させようというきらいさえあります。
当時、私は自称進学校(生徒の学力は高くないのに、教師陣の意識が無駄に高い学校)に通っており、「良い大学に入って大企業で働けば、ハッピーライフが待っている」という教えを教師陣から叩き込まれていました。
「そんな風潮にそのまま乗っかるのはどうなのだろう?」と考えながら、過ごしていた事もあり、一旦道を外れることもありかもしれないなあ、と思い始めました。
そこで、部活を辞め、勉強もしなくなりました。
私が通っていた高校は、「文武両道」をモットーにしていたため、ほとんどの生徒が部活に入り勉強をしっかりしていました。
部活を辞めて勉強もしなくなった私の人権は無くなりました。
教師陣からは、ダメ人間認定をされ、ご学友にも脱落者の烙印を押されてしまったのです。
そして、教室の隅っこで悶々と高校生活を過ごす事になりました。
当時は、5lackとISSUGI、Budamunk、mabanuaの共作の"Keep It Moving'"をよく聴いていました。
ただ、めんどくさい事を全部放棄しただけのダメ人間でしたが、「俺もコーナー(教室の隅)でライフを送ってる」と思う事で、ギリギリ理性を保っていました。
そして、暇な時間が沢山できたので、散歩をしたり、ゲームをしたり、HIPHOPを聴いたり、本を読んだり、映画を見たりして、過ごしていました。
バイトが禁止の学校でお金がなかったので、できるだけお金を使わないでひたすら時間を潰していました。
当時は、ダラダラ過ごしているだけでしたが、この頃の趣味のおかげで、大学生の暇な時期にも退屈せずに過ごせたし、社会人になってからも休みの日は毎日楽しく過ごせているので、意外と大事な時間だったかもしれないと、今では思います。
この頃から、5lackのゆるいスタイルがかっこいいな〜と思い始めて、何も考えないで行動するという意味で、「適当」に過ごしていました。
学校には、一応通っていましたが、授業が終わるまでじっと座っているだけで、無駄に家と学校を反復横跳びしていただけでした。
その結果、学力は最底辺まで下がり、受けた大学は全て落ちてしまいました。
日雇い労働者時代
一応、浪人して大学を受けるということで、浪人を始めた訳ですが、浪人生活が始まってしばらくは、ろくに勉強をせず日雇いバイトで稼いだお金で遊ぶという生活をしていました。
今まで勉強をしてこなかった人間が、勉強を始めるというのは、なかなか難しい事です。
勉強の仕方が分からないのです。
勉強をしない浪人生は、ただの高卒です。
そんなわけで、高卒日雇い労働者という、まあまあ詰んだステータスとなってしまったのですが、5lackのNEXTを聴いて、 「5lackも適当にいけよ、考え込むなって言ってるしなあ〜」と、楽観的に考えていました。
適当に敬意を 適当にいけよ
適当に敬意を 適当にいけよ
考え込むな 考え込むな
考え込むな 考え込むな
私が働いていた日雇いバイトは、工事現場のゴミを運んだり、オフィスの引越しの手伝いでひたすら段ボールを運んだりするような仕事でした。
体さえあれば、スキルや能力は全く必要がない仕事なので、賃金は低く、1日働いて7,500円でした。
交通費も出ないので、現場までは1時間自転車をこいでいく、なんてこともありました。
しかし、高校生の時のお小遣いが月5,000円だったので、7,500円は当時の私からしたら大金です。
毎日食費を1,000円程度でやりくりすれば、6,500円は貯金ができるので、それを使って家賃や光熱費を払えばどうにかなるな...と計算して、「もうずっとこの生活でいいや」と思っていました。
しかし、とある日雇いの現場で大学生のお兄さんに「このままじゃあかんぞ」と優しく嗜められました。
お兄さんは、就職が決まった大学生で、飲食店のアルバイトの片手間に日雇いのバイトをして、お金を貯めているようでした。
このお兄さんには、夢を見つける事の大事さや、ちゃんと運動することの大切さや、女の子と付き合った時の心構えなんかを教わりました。
多分、お兄さんに言われたことは、ほとんど守れていませんが、あの頃よりは少しはマシな生活をしていると思います。
お兄さんには「折角時間があるのだから、ちゃんと勉強して大学にいった方がいい」と、アドバイスをされました。
そして、「大学に合格したら、美味しい寿司に連れてってやる」と、約束をしてくれました。
その直後、携帯を変えたときにLINEが変わってしまったので、お兄さんとは連絡を取れなくなってしまったのですが、また会いたいなと思っています。
そうして、浪人生としてちゃんと勉強しようと思い直したのです。
それまで、親や先生にも「勉強しなさい」「大学に行きなさい」と言われていました。
しかし、親も先生も「私が勉強して大学に行くこと」で、見栄や実績が手に入るという、一種の利害関係にある人たちのため、心には刺さりませんでした。
見ず知らずの初めて会った大学生のお兄さんは、何の利害関係もありません。
そして、お兄さんの言葉には、損得勘定や建前を一切感じさせない、言霊を感じたのです。
そこで、とりあえずこの1年だけは勉強してみようと思い、受験勉強をすることにしました。
(寿司も食べたかったし)
浪人生時代
浪人中は、5lackとKOHHとNujabesをひたすら聞いていました。
5lackは行き詰まったときに気を抜くため、KOHHはセルフボースティングするため、Nujabesは勉強中のBGMとしてです。
浪人を始めた時の偏差値は50より少し低い程度だったと思います。
私は大手予備校の早慶コースに入りました。
「え?偏差値50から早慶入れるの?」と、最初はウキウキしていたのですが、どうやら校舎には学力別に早慶コースが5つあるらしく、私は下から2番目の早慶コースでした。
そして、下から2番目のクラスの場合、早慶に進学できる生徒は70人中2〜3人ほどだったのです。
「ほぼ無理やんけ...」
一週間後、私は予備校に行かなくなりました。
そういった予備校の騙すような手口が気に入らなかったのと、ほとんどの生徒が落ちるような授業を受けていても、成績が上がらないと思ったからです。
そこで、独学で勉強して、早慶、早稲田か慶応のどちらかには合格してやろうと思いました。
「高校生まで努力してこなかった浪人生が早くも予備校をドロップアウトした」と思われ、予備校の定期面談では怒られ、予備校のクラスの連中からは蔑まれ、中々辛い時期でした。
「みんなと違うことをしていて大丈夫だろうか」という、不安感が毎日ありました。
そんな時、5lackの「NEXT」の「適当にいけよ」「考え込むな」という言葉が心の支えになりました。
そして、どこかのインタビューで5lackが言っていたように「適当」が投げやりな言葉ではなく、「ちょうどいい具合に、自分のペースでやる」という意味の言葉だという事が、段々と分かってきました。
中高生の時は、ただダラダラゆるく生きているだけだったのが、浪人生の時は偏差値を上げるために、一応の努力はしていたからです。
浪人生は、1日10時間以上勉強している人もいますが、私は1日7時間程度しか勉強しませんでした。
7時間以上勉強すると、結構体に無理が来ることが分かっていたからです。
無理しない分、毎日継続して受験勉強を続けられたと思っています。
これも5lackの曲から、「自分のペースでやることをやる」事が大事だと教わったからです。
そして、そんな調子で独学で勉強していったところ、浪人生の夏前には偏差値が60を超え、夏の後には偏差値が60後半になり、最終的には志望校に進学することができました。
高校生の時は、地頭の良さによってその人の偏差値が決まると思っていましたが、大学の偏差値なんて、勉強をした分だけ伸びるものなので、自分が無理しない範囲で継続していればある程度までは伸びるものなのだと気づきました。
(私立受験しか知らないので、旧帝大レベルになると、また違う世界なのかもしれません)
しかし、無理しない範囲で継続することは意外と難しいものです。
そんな時は5lackの曲を聴いて、あんまりネガになりすぎないで、自分のペースでコツコツ進んでいけばいいのだと思います。
受験生の方がいたら、5lackの曲を聴いてみてください。
少しは肩の力が抜けて、リラックスできるかもしれません。
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