こんにちは。
アイオー・安楽です。
現在、11月13日に放送された『マツコ会議』でのCreepyNutsの発言が、物議を醸しています。
私も、『マツコ会議』でのマツコ・R指定・DJ松永の3名の会話を聞いて、色々と思うところがありました。
Twitterでつらつらと書いていたのですが、いまいちまとまりがつかず、長文になってしまうため、自分の考えの整理の一環として、ブログに書いてみようと思います。
私は、HIPHOPに詳しいわけではありませんし、正直Creepy Nutsの事も最近のシーンのこともあんまり追えていません。
自分の知っている範囲で、好き放題書いていることをご了承いただければと思います。
また、「これは違うんじゃないか」というご意見があれば、コメント欄等に書いていただきたいです。
それではまず、CreepyNutsのどういった発言が炎上しているのかを見ていきましょう。
いくつか引っかかるポイントがあったので、それぞれトピックを分けて考えていきます。
フリースタイルダンジョンのミソジニー炎上について
1つ目は、DJ松永の「(HIPHOPをやっていくには)日本だとどうしても限界がある」といった発言から始まる、マツコ・R指定・DJ松永の一連のやりとりです。
DJ松永の一連の発言を書き起こしてみます。
動画の方が分かりやすいので、興味のある方はTVerでご覧になってみてください。
【DJ松永の発言書き起こし】
日本だとどうしても限界があると思っていて
暴力的なところとか、倫理的にアウトなところを許容する価値観が日本人と合わないなと思って、それをすごく感じたのがフリースタイルダンジョンだったんですよ
MCバトルってめっちゃ流行ったじゃん
でもそれ元々さ、超アウトサイダーな格闘技な訳
マジな犯罪者たちが暴力以外の解決方法というか、やり合いというかで、ならず者たちが、アウトな言葉たちの応酬で、それがエンタメになって、それが面白いぞってなってテレビまで行ったじゃないですか
罵り合う競技だから、暴言を言わないとそもそも始まらないというか
その大前提なわけですけど
男性が女性に言った言葉で、ミソジニーと言って、炎上したわけですよ
そういうのを見た時に、ここ止まりだな日本ではとか
HIPHOPでどこまで広がるべきなんだろうとか
これ以上日本で広まらないんじゃないかと思って
このミソジニー発言で炎上したという部分は、フリースタイルダンジョンにおける、椿と呂布カルマの一戦を指しています。
呂布カルマが椿に対して、ミソジニー発言を繰り返し、放送終了後に視聴者から「それは良くないんじゃないか」という、批判が相次ぎました。
それに対して、DJ松永は「そういうのを見た時に、ここ止まりだな日本では」と感じたと発言しています。
DJ松永は、MCバトルはアウトサイダーなならず者たちが暴言を言う競技だから、それを許容しないとシーンが発展しないといった趣旨の発言をしています。
その発言を受けて、マツコは「アメリカと日本は環境が違う」と言った内容をしています。
マツコ会議でのDJ松永とマツコのやりとりを聞くと、てっきり「アメリカでは表現が自由にできるが、日本ではコンプライアンスが厳しいので、表現に制限がある。よって、日本でHIPHOPは流行らない」という事実があるかのように思わされます。
しかし、アメリカでは、日本以上に性差別や、性的マイノリティへのヘイト発言が、激しく批判されているのが実情です。
今年の4月にもアメリカのラッパーのDaBABYがゲイの人たちに向けた差別発言をして、方々から非難をされました。
国内外問わずにラッパーが性的マイノリティへの差別や、人種差別をすると、シーンの内外から批判を受ける事は度々あります。
また、「倫理的にアウト」と言っても、アメリカでも許されているのは、ドラッグを使用することぐらいで、人に迷惑をかけるようなラッパーは普通に批判されています。
DJ松永の「アメリカのシーンは倫理観がアウトな発言も受け入れられる」といった発言に対して、私は非常に違和感を感じました。
HIPHOPを知らない一般の人が、印象論で語るのはまだ理解ができるのですが、(一応)HIPHOPシーンの最前線で活躍している人の発言とは思えないからです。
あまりに現行のシーンに対する理解度が低すぎます。
そして、MCバトル=HIPHOPという枠組みで捉えている点においても、(一応)HIPHOPシーンに身を置いている人の発言として、あまりに浅薄だと感じます。
HIPHOPの定義について話すと、かなり長くややこしくなってしまうので、ここでは一旦置いておきますが、MCバトルはHIPHOPの一要素の一つで、決してHIPHOPの根幹を成すものではありません。
勿論、人を罵倒する事がHIPHOPの主要素でもありません。
ISSUGI氏が「HIPHOPは名のないやつに言葉持たせる音楽」と言っていましたが、僕が考えるHIPHOPはこの考えに近いです。
テレビで表現をするのは難しい
その後、マツコとCreepy Nutsの議論は、「テレビで表現することの難しさ」というテーマにシフトしていきます。
マツコ・R指定・DJ松永の三者の発言を文字起こししてみます。
【DJ松永】
作り物なのに本物っていって出さないといけなくて
受けては本物だと思って受け取るから
出る側は本当に消費されるし
絶妙な機微だったり、長文じゃないと説明できない言葉をぎゅっとかいつままれると
全く逆の意味になっちゃうから
Rみたいに言葉を丁寧に扱う人はリスクがある
【マツコ】
これはだから私崩壊は間近だと思っていて
ここまで来てしまったら何もエンターテインメントって成立しなくなると思うのよ
世に出て人に触れてメジャーになった途端に
そこに表現ってものがもはや存在しなくなるかもしれないのよ
矢面に立った瞬間にもうそれはピークなのよ
もうそっから消滅していくものがショーになっている
【R指定】
有名税が全然割に合わないじゃないけど
出た時点で全部に気をつけなあかんというか
一挙手一投足を誰かを思いやるための気遣いではなく
誰かを、これをやったら傷つけてしまう可能性があるみたいな人質を取られた感覚で
行動言動発してしまう時点で、もう昔で言うと売れたうまみみたいなのが何もないんじゃないかというか、全部表現する人にとっては
勿論お金が入ったりとかはあるけど、それ以上にしんどさが大きくなってるんじゃないかとかは思っていますね
それはどのジャンルの人でも
ここでは、メジャーシーンで活動することの難しさが語られています。
ここでは、一旦話題が変わっているので、前述のミソジニー問題とは切り離して考えた方が良さそうです。
CreepyNutsは、その間口の広さから、老若男女問わずに受け入れられているユニットです。
そして、その結果、メジャーシーンでの立ち位置を確立しつつあり、去年は日本武道館で単独公演も果たしています。
このように、彼らが有名になるにつれて感じている、葛藤や辛さがこの一連の会話では語られています。
CreepyNutsは、HIPHOPユニットという体で活動はしていますが、音楽自体はかなり旧来のJ-POPに近いです。
曲の構成やメッセージ性は、HIPHOPを普段聴かないマス層にも届くように、大衆受けしやすいものを意識して作っていると思われます。
所謂、ファンモン的な内容のラップです。
そして、そういった間口の広さが受けて、ここまでファン層が広がったと思われます。
『かつて天才だった俺たちへ』なんかは、そういったCreepyNutsのメッセージ性が良くわかる曲です。
こういった、「特に何も成し遂げていない自分を温かく受け止めてくれる曲」や「頑張っている自分を応援してくれう曲」は、よく共感されるマス受けしやすいテーマの1つです。
ちなみに、R指定は昔はメジャーを強烈に批判しています。
R指定のバース
これからは個性・プライドがサクリファイスのFunkyな猿芝居が流行るみたい
もしくは“すぐに会いに行ける”そんなお隣の少女が担う時代だから
君ら賞味期限切れのラ・フランスじゃ
まず無理なランクアップ
そもそも感謝率少なめ 共感度低め 毒気多め スキル高め
んなもん女子中高生は聞きたかねぇ
(Oh〜 Shit!)なら好きにやんぜ
その内お前も気になんぜ
いざとなりゃアンプラグド アンプ無しで演奏
アコギな商売揺らすBody And Soul
ライム・フロー・パンチラインの連立政権
さぁお前も食らっちまいなこのバイブレーション
蓮舫でさえも避けれん膣痙攣
現状、不満なら枚挙に暇が無いが
Get On The MicでYesもNoも聞かず地獄叩き落とすガッデム!!
「Funkyな猿芝居が流行るみたい」というリリックは、当時流行っていたファンキーモンキーベイビーズの事を批判したリリックです。
そんなR指定が、いつの間にか「共感度高め 毒気少なめ」な曲ばかりを作るようになってしまったのは、なんとも言えない気持ちになってしまいます。
このようにCreepyNutsは、メジャーをDisるスタイルから、マス層を取り込みにいくために、現在のようなJ-POP的な売り出し方へシフトしています。
そして、その結果、「有名税」として言動の制約が強まったことに対して、R指定とDJ松永は不満を訴えているのです。
以前もブログに書きましたが、CreepyNutsをHIPHOPとして認めていないHIPHOPヘッズは少なくありません。
しかし、CreepyNutsが有名になるにつれて、世間の認識では「HIPHOP=CreepyNuts的なもの」という価値観が広まりつつあり、CreepyNutsもHIPHOPシーンの第一人者として、紹介される事を受け入れています。
このように、CreepyNutsの売り出し方が世間のHIPHOPへのイメージを歪曲させてしまう原因の1つとなっている事が、ヘッズの共通認識としてありました。
そうやってHIPHOPの殻を被りつつ、J-POP的なアプローチをすることで、自分たちのファン層を拡大していったCreepyNutsが、「作り物を本物っていって出さないといけない」や「有名税が全然割に合わない」と言った発言をすることは、急に手のひらを返された気になってしまいます。
そして、「表現する人は全員そのような苦しみを感じている」と言った趣旨の発言についても、かなり違和感を感じてしまいました。
CreepyNuts的な売り出し方をすれば、受け手はクリーンで誠実な印象を求めるので、必然的にそのイメージを壊すような言動は控える必要があります。
しかし、殊にHIPHOPシーンでは、自分が本当にやりたいスタイルで活動して、大きな成功を収めているラッパーは沢山います。
犯罪を犯して逮捕されてもリスペクトされているラッパーもいますし、際どい言動を連発しても人気があるラッパーは山のようにいます。
KOHHは、国内外で大成功をしているラッパーの1人ですが、『Fame』という曲でファンを突き放すようなリリックを書いています。
ヘイターのこと好き 褒めてばっか嫌い ていうかどうでもいい
結局自分自身が敵 KOHHさんって格好いい KOHHってマジださい
はいはい皆さんご勝手に どうぞお好きにして下さい
こんなリリックを書いても、KOHHを嫌いになったり、傷ついてしまうヘッズはほとんどいないでしょう。
これはひとえに彼が、自分のやりたいスタイルを貫き通した結果、その価値観に共感できるヘッズしかそもそもいないからです。
しかし、聴き手に合わせた最大公約数的な音楽をしてしまうと、どうしてもマス層の価値観に合わせ続ける必要が出てきます。
その価値観から少しでも逸脱すると、ファンが急に離れてしまうのです。
最初から、自分がやりたいスタイルを貫き通していれば、そういったことは起こらないのです。
KOHHのFame的なスタンスに、CreepyNutsも振り切ってみたら、意外と自由になれるかもしれませんね。
マツコはHIPHOPに詳しいのか
今回のマツコ会議での一連の流れを、一部メディアは「マツコ、Creepy Nuts・DJ松永の涙にもらい泣き 熱いHIPHOP&テレビ論」と、取り上げています。
そして、CreepyNutsのファンは、「マツコはHIPHOPをよく理解しているし、表現者の痛みを理解している」とマツコの見識の深さを褒め称えています。
しかし、マツコは本当にHIPHOPへの理解が深いのでしょうか?
残念ながら、マツコのイメージするHIPHOP像はかなりステレオタイプです。
ステレオタイプなマツコがDJ松永の主張に、なんとかアンサーしようとして、自分が知っている範囲のHIPHOPの知識を手繰り寄せて発言しているため、議論が明後日の方向を向いてしまっているのです。
今回のマツコは、通常の時に比べて、物言いが辿々しくなっている部分が多かったです。
それを「言葉を慎重に選んで発言している」と褒め称えている人もいますが、私は「自分が知っている範囲のHIPHOP知識でなんとかそれっぽい返しをしようとしている」ように感じました。
テレビの放送を見ると、文脈が読みにくくなってしまうのですが、上記の書き起こしをみると、DJ松永の主張に対するマツコの返しが、割と的を射ていないことがよく分かります。
そして、マツコ自身は序盤に、「そんなにHIPHOPに詳しいわけではない」と前置きをしています。
しかし、DJ松永が「マツコさんはめちゃくちゃ俺らのことを分かってくれている」と号泣し始めたため、マツコは「HIPHOPにある程度の知識がある人」の立ち回りをせざるを得なくなってしまったのです。
ここで、誤ったHIPHOP論を繰り広げるDJ松永と、それに対して眉唾の知識で返答をするマツコと、その2人の議論に乗っからざるを得なくなってしまったR指定の歪な会話が出来上がってしまったのです。
DJ松永に対する批判こそが、DJ松永が訴えている絶望なのか
CreepyNutsのファンたちは、今回のDJ松永に対する批判こそが、「絶妙な機微だったり、長文じゃないと説明できない言葉」をかい摘まれて、全く逆の意味で消費されてしまう現象なのではないか、とDJ松永の発言を擁護しています。
作り物なのに本物っていって出さないといけなくて
受けては本物だと思って受け取るから
出る側は本当に消費されるし
絶妙な機微だったり、長文じゃないと説明できない言葉をぎゅっとかいつままれると
全く逆の意味になっちゃうから
Rみたいに言葉を丁寧に扱う人はリスクがある
実際、番組を見ずに一部分のスクリーンショットや発言を見て、CreepyNutsを批判している人たちがいることも確かです。
しかし、今回の番組においては、一部始終の流れを見ても、強烈な違和感があることに変わりはありません。
どちらかというと、番組の編集サイドに問題があると感じます。
これだけ炎上していることから分かるように、少しでもHIPHOPに理解がある人であれば、ステレオタイプなHIPHOP像を前提に、今回の議論が繰り広げられていることは気づきます。
それを誰も指摘せずに、あたかも「HIPHOPシーンの現状と、プレイヤーの苦悩」を、真摯に取り扱っているかのように、地上波で放送してしまっているのです。
受け手は、CreepyNutsは知っていても、HIPHOPの事はよく知らない人が多数です。
そのため、テレビで流された事を正しいことだと受け取ってしまいます。
これこそが、DJ松永のいう下記の現象ではないでしょうか。
作り物なのに本物っていって出さないといけなくて
受けては本物だと思って受け取るから
出る側は本当に消費される
こうしてみると、本来味方であるCreepyNutsのファンや、彼らのフィールドであるTVや大手メディアが、彼らの意見の一部分を切り取り、礼讃し、消費していることがよく分かります。
マス層を相手にするビジネスがいかに難しいかを、痛感させられた一件でした。
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